28/12/2023
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Noborutoからご報告。
本屋Noborutoとして約3年間やってきましたが年内いっぱいで閉幕することとなりました。これまでありがとうございました。
2020年の夏、3階の暑い部屋でメンバーと共に壁紙を剥がして空間をつくるところから始まったNoboruto。あの夏はとても暑かった。
自分以外の誰かと場を作ってゆくことに関してメンバーの誰もが初めての経験で、手探りで、実験的でした。
ペンキの色ひとつ選ぶのにも互いに遠慮があったり、なかなか決めきれなかったり、コロナ禍で初めて出会ったメンバー同士も多かったからマスクを外した素顔すら見たこともない関係で、互いの距離を測り、思いやり、慮り、慎重に言葉を選び、回り道をしてぐるぐると回って、ときに絡まり、ま、ま、それぞれに思うこともあったと思います。人間だもの。でもそれはそれで健全な関わり方のように思います。みんながNoborutoのことを思っていました。
最初の約1年半は立ち上げメンバーと日替わりで店番に入り、ワークショップや展示会、パン祭りなどのイベントもやってきました。
本屋兼シェアスペースとしてやっていたので、シェアスペースで珈琲を飲みながら本を読み、ふと顔をあげて窓の外に視線をやると、向かいには壮大な南アルプス。その景色はこの場所ならではのかけがえのないものでした。
店を開けていれば、「〇〇さんいますか?」と店番に入るメンバーに会いに来てくれるお客さんもいて、僕ひとりでは叶わなかった、この地域に対して広がりを感じました。ずいぶんとNoborutoのおかげで僕の店トオクのことも知ってもらえたと思います。2階トオクと3階Noborutoが連動したイベントもやりましたね。
後半の1年半はNoborutoは縮小してトオク店内にて展開していました。3階からの眺めのいいシェアスペースで、またお茶したかったという声もいまだにときどき聞きます。
出産や転職、起業などNoborutoメンバーのそれぞれのライフイベントとNoborutoの運営が重なり、だんだんと店番に入ることが難しくなったメンバーも増え、僕自身もトオクで手一杯で、少しずつ縮小。かつてはNoborutoの選書だった本棚も気づけばトオクの僕の選書中心になってきた今、Noborutoの看板を掲げることが空虚になってきてしまったので、これはもう閉幕しようと。
結果こうなるとNoborutoとは僕の店トオクへと集約する長い宣伝だったようにも見えなくもないけれど、それぞれのメンバーがそれぞれに得るものがあったんじゃないでしょうか。
これからこの駒ヶ根で何かやりたい人たちにとって、このNoborutoという存在が小さな叩き台にはなったかな。踏み台になるかな。なってねーか、あんなの軽く越えてゆけるよ、という人たちが現れることを世代関係なく期待しています。単に期待するだけでなく、もうひとつの踏み台としてトオクを僕は続けます。
NoborutoオープンのときにNoborutoをイメージした絵を寄贈してくださったナオトさん。これまでNoborutoのプロフィールのアイコンとして使わせて頂きました。オープン時にはしおりまでプレゼントしてくれましたね。本当にお世話になりました。ありがとうございました!
これからもトオクの店内にはナオトさんが描いてくれた絵は飾り続けます。ぜひ、みなさん見に来てくださいね。
ワークショップやイベントにご協力いただいた皆さま、ご参加くださいました皆さま、本当にありがとうございました。皆さんのひとつひとつのアクションがNoborutoの支えとなり、かたちづくり、メンバーの励みでもありました。
お声がけ頂いたにも関わらず僕らの力不足で実現できなかった人たちの活動は今もインスタなどで拝見し、ときに活動されている場所に顔を出しては影ながら応援しています。
Noborutoは終了しましたが、Noborutoメンバーそれぞれの活動はすでにこの伊那谷の至る所で見ることができます。今後のそれぞれの活動にもご期待ください。
こうやって書いていると感傷的になるのでもうやめます。
さて、Noborutoは閉幕しますが、先々月NoborutoのメンバーだったマスイさんとはじめたCOLORSははじまったばかり。
NoborutoのアカウントはCOLORSとして引き継ぎ、皆さんのタイムラインにお邪魔します。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
明日12/29が年内最終営業日です。花束とか期待してません。少し立ち寄ってひと言ふた言話せれば、それを糧にこれからも歩みを進めます。一緒に進みましょう。
今朝の朝刊で東京・中目黒にある台湾発祥の老舗書店「新高堂書店」が閉店することを知った。こんな地方の新聞に載るんだなぁと思った。創業125年の歴史に幕を閉じるという。
街は劇的には変わらない。いつも刻々とひっそりと移り変わる。僕らは当事者であり、傍観者であり、日はまた登る。