12/09/2026
唐突ですが、映画「ダイ・ハード」を観たことがありますか?
父が好きだったので、金曜ロードショーである時は家で流れていたのですが、
僕は主人公のブルース・ウィリスが敵地に忍び込む過程で、敵のトラックに乗り込みざまに敵の運転手をあっという間にやっつけるのですが、
このシーンがやたらと記憶に残ってしまって、逆に他のシーンは全く残っていなくて、これがダイ・ハードシリーズ何作目だったのかもハッキリしません。
主人公なので当然、「正義」であるはずなのですが、そのシーン以降全く入り込めませんでした。
ああ、敵であれば程度や背景なんて関係なく一網打尽にヤッてしまっていい世界線なんだな、と。
9.11、あの同時多発テロが起きてから、ブッシュ大統領はアルカイダを敵と看做し、そこを支援するイラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸国」と呼びました。
テロが起きた背景や原因に自分の責任があるかもしれないことを棚に上げ、
被害者の顔で正義を叫んだのです。
もちろん、テロなどを容認はしませんが、
人種も文化も言語も違う国々が、
単純に「正義と悪」に分けられるのでしょうか。
そう言えば、正義の対義語ってなんでしょう?
善の対義語は悪です。
じゃあ正義は?
互いに正しいと思う中で起きる戦争では、
正義の反対は、また別の正義になります。
まるで磁石のS極とS極同士が反発し合うようです。
くっつかないまま間には分断ができます。
単純な2極構造で分断させられている今の社会は、この頃から始まっているのかもしれません。
東西で分かれている頃はまだ良かったのかもしれません。東と西に善と悪は単純に結びつかないから。
でも、「悪の枢軸国」とレッテルを貼ってしまえばどうでしょう?
僕たち人間は、「正しい」と思い込んでしまえば、忽ち暴走できる動物です。
それは、戦争での虐殺や、関東大震災で起きた朝鮮人虐殺など見れば明らかです。
その流れがどんどん加速していませんか?
外交も政治も選挙もSNSも、
「正義か悪」かで単純に線引きして、
恐怖と不安を短時間で煽って、
簡単に昂った感情で、
「悪」を簡単に攻撃していませんか。
哲学的な「正義」の対義語に、「対話」が出てくるそうです。
正義を盲信的に突き詰めると、排他に行き着くそうです。
だから、正義の対義語は、対話で異質なものを認めること、歩み寄ることになると。
今、僕たちはどんどんと短い情報で感情を動かされる時代になっています。
でも、大切なのは動かされた感情を一旦落ち着かせ、考えること、思い遣ることなんだと思います。
冒頭で書いた「ダイ・ハード」でも、もし運転手の境遇や心境に思いを馳せられたら、簡単に「殺す」という選択肢が取れたのだろうか、と感じてしまったのです。
だって、もしかしたらただの雇われ運転手であって人殺しとかではないかもしれないし、彼にも大切な家族やパートナーがいたかもしれないのです。
問題はある、でも敵はいるのか?
対話をしていきましょう。
関係は、倒す、よりも深まるように。
対話をしていきましょう。
コーヒーブレイクのように気持ちを楽にして。
平和のためにコーヒーがあるなら、それはとても最高ですね(。ᵕᴗᵕ。)