04/08/2026
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毛矢珈琲は少し分かりづらい場所にある。
福井駅のある中心部からは足羽川を渡らなければならず、大通りからも一本路地へ入る。目的地として選ばなければ、たまたま通りかかるような場所ではない。
それでも、ときおり思いがけない人たちがやって来る。
外国からの旅人も、その巡り合わせの一つである。
店には二千冊ほどの本がある。
冊数だけなら、小さなブックカフェくらいにはなるだろう。しかし私は、一度もブックカフェと名乗ったことがない。
あの本棚は、図書館ではないからだ。
図書館は目的の本へたどり着くためにある。分類され、整理され、知識へ最短距離で導いてくれる。
毛矢珈琲の本棚は、その反対である。
哲学の隣に写真集があり、民藝の横にイタリア文学が立ち、その近くには珈琲の本や、誰かから譲り受けた古い詩集が混ざっている。秩序がないわけではない。ただ、その秩序は私の頭の中にしかない。
だから本を探しに来る場所というより、本のあいだで迷う場所なのだ。
ボルヘスの『バベルの図書館』ほど壮大ではないけれど、本棚というものは、本来そういう性質を少し持っているのではないかと思う。
探していたものではなく、自分でも探していることを知らなかったものに出会うには、少し道に迷うくらいがちょうどいい。
ある日、一人のイタリア人の旅行者が、その本棚の前で足を止めた。
彼女はエルサ・モランテの『嘘と魔法』を見つけると、驚いたように目を見開き、そのまま席に戻って二時間ほど読み続けた。
どうして福井のこんな小さな喫茶店に、この本があるのか。
そんな表情を浮かべていた。
その本は、何年も前、須賀敦子の文章に導かれて旅したナポリの本屋で買ったものだった。イタリア語はほとんど読めないまま、本だけを日本へ連れて帰り、長いあいだ本棚に眠らせていた。
そんな話を説明すると、かえって現実味がなくなるような気がして、私は何も言わなかった。
代わりに、一つだけお願いをした。
「もし私がいつかこの本を原書で読める日が来たら、そのときあなたのことも思い出せるように、どこかに一言だけ書いてくれませんか。」
彼女は静かに頷き、一ページにこう記した。
SIAMO TUTTI CONNESSI DA UN FILO INVISIBILE, GLI OGGETTI PASSANO DI MANO IN MANO E RACCONTANO STORIE.
「私たちは皆、見えない糸で結ばれている。ものは人の手から人の手へと渡り、そのたびに物語を語り始める。」
ナポリの本屋から福井へ運ばれてきた一冊は、その日、彼女の手を経て、もう少し遠くまで旅をした。
本は、人から人へ、土地から土地へと渡りながら、それぞれの時間を静かに引き受けていくのかもしれない。
あの本棚は今日も少しだけ雑然としている。そのことを、私はむしろ安心して眺めている。